当時はなんでも手作りする時代で、経木を折ったり、パッケージの絵を描いたり、高校時代までは当たり前のように毎日家業を手伝っていました。子供時代に得意だったことは、鉄道模型を手作りで作ること。一つ一つのパーツを銅板から作る。ゼロから作る楽しさ、いいものを作ることにこだわる楽しさを味わってきました。
好きなことをとことん追求する性格で、大学では理工土木を選択し、教養課程はぼちぼちでしたが、専門課程はオール優で卒業しました。卒業後、土木会社に入社。会社でも好きなことに没頭し、夢中になって仕事を行い、夢のような充実した日々をおくっていました。その中で、三陸鉄道の橋梁施工を担当することになりました。元来、人がやらないことをやりたいという性格なので、美しく絶妙なバランスを持ち高耐久性を誇る、金属ではなくコンクリートで築く世界初のPCトラス(プレストレスト コンクリート)橋梁を施工しました。その橋梁は三陸の田野畑村に1977年12月に完成しましたが、2011年のあの大津波が襲った東日本大震災にあっても壊れず、いまだ現存しています。その仕事で数年間、東北の農家にお世話になったのですが、農家の苦しく厳しい生活を身近に感じ、同じ人間なのに、同じように生きる権利があるのに、こんなに悲惨な生活・人生を体験している人がいることに驚愕し、なんか自分が手助けできることはないか! 自分ができることはたかが知れているかも知れないが、なんとかしたい! その農家をサポートしたいという想いが登喜和食品の原点で、「畑から食卓まで。登喜和食品は日本の農業を応援し、健やかな食をお届けいたします。」というタグラインに表されています。
三陸鉄道の橋梁工事にかかわった岩手県は大豆の産地として有名です。当時は、納豆の原材料の大豆は中国産やアメリカ産のものを商社を通じて買っていました。家業を切り盛りしていた母と母の弟に、国産大豆を使用したいと提案をしたのですが、値段が高すぎて、売れる納豆にならないと拒絶されました。いい取引先を持っていなかったので、そういう判断しかできなかったのです。その当時、K小売店は超高級なスーパーマーケットで、商品もお客さまもサービスも他店とは全く違う夢のような場所でした。その店で自社の納豆を扱ってくれたらと考えたのですが、なんのコネクションもないので、あたって砕けろ精神で、K小売店詣をはじめました。当時は製造から配達まで一人で行っており、超多忙な時間をやりくりし一週間に一度、K小売店の仕入担当者を訪ねていました。門前払いを繰り返す中、ある日、担当者の方が「どんな納豆を作っているの?」と聞いてくれ、自社の納豆を食べてもらうことができました。すべて食べ終えて、その方は「旨いね!」と言ってくれ、そこからK小売店さまとのおつきあいがはじまりました。 K小売店に出会って、取引がスタートし、念願だった国産大豆を使った高級納豆にやっと舵を切ることができたのです。1990年のことでした。
農家との関係性は、登喜和食品にとってなにより重要です。お互いがなにを考え、なにを目指しているのか、わかりあうことが大切で、顔の見える信頼関係を重視し、顔をあわせる機会をなるべく作るように努めています。商は人だと常々思っており、登喜和食品は、農家の方、流通の方、お客さまのお互いの信頼の上に商いが成り立つようにしたいと考えています。 農業は自然が相手ですので、予想外の虫が湧いたり、病が発生したり、いろんな失敗のリスクがつきものです。そのリスクを防がないと安心して農作物の生産ができないと考え、登喜和食品ではその年の出来不出来にかかわらず、農家の方が安心して働けるように、作付前・全量買付契約を市場価格よりも高い値段で農家と取り交わしております。 農家の方々には、安全安心な大豆を生産していただくため、除草の手間は大変だが、自然の幸である大豆をできるだけ自然なままに生産すること、そのことが生産者の健康のためにもなり、自然環境の保護につながることをお伝えし、しっかりとした栽培履歴・トレーサビリティの提出をお願いしていいます。いまでは、「遊作さんのために大豆を作るよ」と言ってくれる農家もあり、「丹誠こめて作った大豆が、どのように加工され、どのようにお客さまが食べているのか、見えるようになった。変なものは作れないと責任を感じるようになった」と言ってくれています。
なぜ登喜和食品は国産大豆にこだわるのですか?とお客さまに聞かれることがあります。輸入大豆を使用しない理由は、EUでも制限している遺伝子組換え作物(大豆)が混入する可能性が高い、輸入に際して病虫害の発生を抑えるポストハーベスト農薬を使用している可能性が高い、フードマイレージが大きく、輸送時にかかる燃料とコストが環境汚染や温暖化につながることがあげられます。一方、国産大豆の場合、そもそも日本では遺伝子組換え大豆の栽培は行われていないので、混入の問題が生まれない、地産地消で地元で育った作物(大豆)はからだにも優しい、安全性を担保するトレサビリティが確認できる。 さらに登喜和食品がおつきあいしている契約農家さんなら長いおつきあいで顔も見える関係なので、さらに安心できる大豆を提供していただけると断言できます。
納豆職人として、自分の納得できる納豆を作りたい。そのために、原材料、温度、湿度、時間など、毎日試行錯誤しながら、つねによりおいしい納豆を作りたい情熱と創意工夫で納豆づくりに励んできました。そのなかで、微生物の働きを調整するために薫煙炭火造り(製法特許 第1313669号)が生まれ、日本生まれのおいしい「テンペ」や「東京納豆菌」が生まれました。つねに新しいものに挑戦しオンリーワンの存在になることを目指して、登喜和食品は毎日の業務のなかでたゆまぬ研究開発を続けています。
登喜和食品は、生きている納豆とテンペを製造し商いを行っています。なによりもからだに入り、からだをつくる食品を製造している自覚を持って、美味、安全安心を心掛けています。そのためには、志を持った信頼のネットワークが必要です。農家の方々、流通の方々、そしてお客さま、登喜和食品はその信頼のネットワークをなによりも大切にしています。
最後に、登喜和食品の社長、遊作誠からのメッセージをお届けいたします。
お客さまの食生活と健康と満足をお届けするため、
登喜和食品は「食べものは命をすこやかに育むもの」を信念に、
小さな巨人である発酵微生物と会話しながら、
無塩大豆発酵食品である納豆とテンペを仕込んでおります。
ぜひ、私たちの想いをこめた商品をご賞味いただきたいと願っております。